熊本県の公立高校入試において、内申点(調査書点)が合否の判定に一定の割合で使われるのは、動かしようのない制度上の「事実」だ。
この事実を前にしたとき、巷ではよくこんな噂が囁かれる。
「大人しくて目立たない子は内申で損をする」「明るくてハキハキした子が有利」「結局は先生に好かれるかどうかのゲームだ」――。
しかし、17年間現場で子どもたちと学校の評価シートを見続けてきた私から見れば、これらはすべて根拠のない都市伝説、あるいは「内申点神話」が生んだただの誤解である。
はっきりと告げよう。
内申点は、子どもの「人格」や「性格」を評価するものではない。
それは、学校という一つの「システム」を、どれだけ正確に攻略できているかの記録である。
■ 運用の「ばらつき」という現実をどう超えるか
もちろん、評価は本来、国が定めた「観点別評価」という厳密なルールに基づいて行われる。
しかし、その運用が完全に均一で公平かと言われれば、残念ながら現場のリアルはそうではない。
学校によって評価の空気は違うし、教師によって重視するポイントに微妙なばらつきがあるのも、また冷徹な「事実」だ。
だからこそ、私は「先生に好かれろ」「気に入られる人間になれ」とは絶対に言わない。
むしろ逆だ。
人によるブレがあるからこそ、私たちは「誰が見ても言い逃れのできない客観的な評価材料」を確実に積み上げるべきなのだ。
例えば、授業中に自分から手を挙げて発言するのが苦手な、非常に大人しい生徒がいる。
しかしその子は、提出物を1日の遅れもなく期限内に出し、ノートの余白まで丁寧に整理し、日々の小テストを満点で通過し、忘れ物を絶対にしない。
この場合、どれほど教師にばらつきがあろうとも、その子の内申点は高く安定する。
なぜなら、評価基準に合致した「客観的な証拠」が、すべて完璧に揃っているからだ。
逆に、どれほど地頭が良く模試ができても、提出物を踏み倒し、ワークを白紙で出せば、システム上、点数は容赦なく引かれる。
それは嫌われているからではなく、単純にルールを自ら放棄しているからだ。
不確実な他人の感情や運用のブレを嘆くより、自分が確実にコントロールできる点数を取りにいく。
それこそが、本物の受験戦略である。
■ 制度を冷静に見つめ、神話を解体する
ここで、私は塾長としての「意見」と「論評」を付け加えたい。
現行の公立入試制度において、内申点を無視することはできない。
しかし、多くの親子が内申点を必要以上に恐れ、神格化しすぎている現状には強い危機感を覚えている。
内申点のために中学生が教師の顔色ばかりをうかがい、ビクビクしながら過ごすような中学生活は、健全ではない。
それは教育ではなく、ただの「従順さの強要」になってしまうからだ。
だからこそ、私たちはこのシステムを正しく恐れ、賢く付き合わなければならない。
性格は変えられなくても、行動のルールなら今日から変えられる。
内申点という魔物は、正体を知ってしまえば、君の人生のハンドルを奪うほどの存在ではないのだ。
ルールと戦い方は分かった。
では、この総合格闘技のリングの上で、今、私たちは何をすべきなのか。
中1・中2の過去の通知表を見て絶望している親子、そして「中3の今からでも本当に間に合うのか」と不安で足がすくんでいるあなたへ、最も重要な「時間と配点」の戦略を伝授しよう。
次回、
【内申点という魔物③】〜中3からでは遅いのか〜

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