第4話 20問正解した。それでも、もう一度やる
8月21日。
ある中学生が、地理の学校ワークをやっていました。
範囲は九州地方。
最初の問題は27問。
27問中20問。
もう一つは25問。
25問中20問。
学校のワークとして考えれば、それほど悪い数字ではありません。
8割前後できています。
本人からすれば、
「だいたい分かった」
と言いたくなるところでしょう。
私も昔なら、
「じゃあ、次に行こう」
と言っていたかもしれません。
でも、今回はもう一度やらせました。
すると、27問の方は、
27問中27問。
全部できた。
ところが、もう一方は、
25問中20問。
変わりませんでした。
同じ5問を、まだ落としている。
だから、またやりました。
今度は、
25問中24問。
あと1問。
そして数日後。
8月26日。
もう一度やりました。
25問中25問。
ようやく全部できました。
私は、この記録を見ながら考えていました。
この子は、いつ「できるようになった」のでしょうか。
■ 20問できた時点で、勉強は終わっていたかもしれない
25問中20問。
80%です。
学校のワークを一周して、この数字なら、
「結構できた」
と思う子は多いでしょう。
丸付けをする。
間違えた5問の答えを赤ペンで書く。
そして次のページへ進む。
提出物なら、それで終わりです。
でも、それは本当に「できるようになった」のでしょうか。
答えを書いただけで、次に自分で答えられる保証はありません。
実際、この生徒はもう一度解いて、
また20問しかできませんでした。
一回目。
20問。
二回目。
20問。
数字だけ見れば、
全く成長していません。
ここで本人が、
「地理が苦手」
と思っても不思議ではありません。
親が見ても、
「二回もやったのに覚えていない」
となるかもしれない。
でも私は、そこでやめさせませんでした。
もう一度やる。
すると24問。
そして、さらにやる。
25問。
全部できた。
特別な授業をしたわけではありません。
ものすごく分かりやすい解説を聞かせたわけでもない。
同じ学校ワークです。
できなかったから、もう一度やった。
ほとんど、それだけです。
■ 「できない」の中身は、本当に能力なのか
私は生徒の勉強を見ていて、ときどき怖くなります。
私たちは、かなり早い段階で子どもの能力を判断しているのではないか。
数学が苦手。
英語が苦手。
暗記が苦手。
社会が苦手。
もちろん、本当に得意不得意はあります。
でも、
一回やってできなかった。
二回やってもできなかった。
そこで、
「この子は苦手だ」
と決めてしまっていないでしょうか。
今回の25問もそうです。
二回目までしか記録がなければ、
20→20
です。
何も変わっていない。
ところが続きを見ると、
20→20→24→25。
全く違う話になります。
同じ子です。
同じ問題です。
変わったのは、
やめなかったこと
だけです。
■ 「何周したか」だけでも足りない
ただ、ここで私はもう一つ気をつけています。
「学校ワークは4周すればいい」
という話にしてしまうことです。
それでは、また方法だけが独り歩きします。
4周したら必ず100点になるわけではありません。
一回目で全部できる問題を、機械的に4回解く必要もない。
逆に4回やってもできなければ、5回目が必要かもしれません。
重要なのは、
4周したことではなく、できなかった問題ができる状態になるまで戻ったこと
だと思っています。
実際、この生徒の別の九州地方の問題では、3回目でも、
27問中22問。
まだ5問残っていました。
一方、まとめ問題は1回目で、
14問中14問。
全部できた。
同じ社会でも違います。
全部を同じ回数やる必要はない。
できたところは終わる。
できないところには戻る。
ただそれだけです。
■ 勉強は「終わらせるもの」になっていないか
学校の勉強には、どうしても「終わらせる」という感覚があります。
ワークを終わらせる。
宿題を終わらせる。
提出物を終わらせる。
○ページまで終わらせる。
だから、最後のページに到達すると達成感があります。
でも、テストで問われるのは、
ワークを終わらせたかどうかではありません。
その問題を、自分一人で解けるかどうかです。
25問中20問の状態でワークを閉じれば、
5問はできないまま残っています。
本人が何時間勉強したかとも関係ありません。
ノートを何ページ埋めたかとも関係ない。
できるか。
できないか。
かなり冷たい話ですが、テストではそこしか見られません。
だったら、勉強する側も、
「今日は2時間やった」
だけではなく、
「昨日できなかったものが、今日は何個できるようになったか」
を見る必要があるのではないか。
この夏、私はそんなことを考えるようになりました。
■ そして、次の14問
同じ生徒が、まとめ問題を解きました。
14問。
結果は、
14問中14問。
私は「すごいね」と言います。
そして、その問題は終わりです。
できているものまで、延々と繰り返す必要はない。
その次の単元へ行く。
別の問題で間違えたら、そこへ戻る。
ワカスクでやっていることは、意外なほど単純です。
できた。
終わり。
できなかった。
もう一度。
まだできない。
もう一度。
できた。
終わり。
書いてしまえば、それだけです。
でも、この単純なことを毎日続けるのは、案外難しい。
子どもは先へ進みたがります。
同じ問題をやりたくない。
大人も、
「もう二回やったんだから」
と思ってしまう。
だから20問のところで終わる。
そしてテストでも、同じ5問を落とす。
■ もし「できない子」の一部が反復学習で「できる」ようになったら
25問中20問だった子が、
25問中25問になりました。
これだけで、
「成績は努力で全部決まる」
などと言うつもりはありません。
そんな単純な話ではないでしょう。
でも、一つだけ疑ってみたいことがあります。
私たちが、
「あの子はできない」
と呼んでいる子たちの中に、
本当は、
「できるところまで繰り返す前に、勉強を終えてしまった子」
が混ざってはいないだろうか。
一回で覚える子と、
四回で覚える子がいる。
それなら、四回やればいい。
五回必要なら、五回やればいい。
少なくとも、この夏の教室では、
20点分しか取れなかった知識が、
繰り返すことで、
24になり、
25になった。
私は、その事実を記録しておこうと思います。
才能なのか。
方法なのか。
回数なのか。
環境なのか。
まだ分かりません。
でも、
「できなかった」という一回の結果だけでは、その子の能力は分からない。
これは、この夏の小さな教室で、かなりはっきり見えてきました。
明日もまた、誰かが間違えます。
そして私はたぶん、
いつもと同じことを言います。
「じゃあ、もう一回やろう。」
(『ちりぬるを』第4話 了)

コメント