夏休みも中盤から終盤にかかる頃、受験生たちのリビングに、一つの大きな嵐が吹き荒れる。
夏の努力の成果を測るために受けた、模試の結果(判定)の返却である。
画面に印字された「E」や「D」というアルファベットを見て、親は「夏にあれだけ頑張ったのに、なぜ……」と目の前が暗くなり、子どもは「やっぱり自分には無理なんだ」と、ペンを握る手を止めてしまう。
世の中の受験解説には、二つの極端なアドバイスが溢れている。「E判定が出たら志望校を変えろ」という絶望論と、「E判定なんて気にするな、最後に逆転すればいい」という無責任な精神論だ。
断言しよう。そのどちらも間違いである。
戦略家は、判定を無視して現実逃避することもしないし、判定に怯えて絶望することもしない。
前々シリーズから積み上げてきた本書の思想に従うなら、私たちのルールはただ一つ。
判定という一文字を『感情』で処理するのをやめ、冷徹な『データ』として使いこなすことだ。
■ 判定とは、合格可能性ではなく「現在地の標識」である
多くの親子は、判定を「合否を宣告する占い」だと思い込んでいる。
だから一喜一憂し、振り回されるのだ。
しかし、模試の判定が示しているのは未来の結末ではない。
単に「志望校のゴールに対して、我が子が今、どの地点に立っているか」という現在地の標識にすぎない。
E判定だからといって絶望する必要はない。A判定だからといって安心することもできない。本当に見るべきは、その一文字の裏側に隠されている中身(内訳)である。
例えば、同じ「E判定」であっても、
- 数学だけは偏差値60を超えているが、理科と社会の暗記分野が手つかずで全体を引っ張っている「E判定」
- 全教科が平均して届いておらず、基礎の取りこぼしがドミノ倒しのように起きている「E判定」
この2つの「E」が意味する課題と、第九章で立てた戦略の修正ポイントは、全くの別競技である。前者は理社のハックで一気に景色が変わる「伸びしろ型」であり、後者はまだ「基盤不足型」のフェーズにいるという、冷徹な現在地を示しているだけだ。
逆に、表面上は「A判定」であっても、たまたま過去の得意単元だけが出題されていたり、放置している苦手分野が隠されているなら、そのA判定は極めて危険な砂の城である。
■ 夏の模試は、「努力の採点」ではない
ここで、現場で17年間、夏の終わりに涙を流す親子を見続けてきた塾長として、あなたに絶対に知っておいてほしい「構造」がある。
夏の模試は、夏に頑張った成果(努力)を採点する場所ではない。
多くの子どもたちは、夏に生活を整え、必死に勉強した直後の模試で点数が上がらないと、「自分の努力は無駄だったんだ」と心を折ってしまう。
しかし、人間の脳の構造上、夏休みにインプットした知識が繋がり、実際の模試の初見の問題でアウトプットできるようになるまでには、数ヶ月のタイムラグが必要なのだ。
夏の努力が結果(数字)として裏付けられるのは、秋以降であることも珍しくない。
つまり、夏の模試の役割は、あなたの頑張りを評価する「通知表」ではない。
「夏に打った手のどこが機能していて、秋に向けて次にどこを修正すべきか」を教えてくれる、ただの診断書(地図)なのだ。
■ 地図を見て、落ち込む必要はない
判定を見るな。いや、正確には「判定だけを見るな」。
AもEも、記号の一文字にすぎない。
私たちが見るべきなのは、その一文字の裏側に隠れている、大問別の正答率や科目別の推移という、我が子のリアルな数字だ。
模試とは、合否を宣告してあなたからハンドルを奪う紙ではない。
次に進むべき正しい方向を教えてくれる、ナビゲーションシステムである。
地図を見て、現在地がゴールから遠いからといって、地図に向かって怒ったり、落ち込んだりする人はいないはずだ。
現在地が分かれば、人はまた淡々と、自分の足で歩き出せるのだから。
次回、私たちはこの夏のデータをすべて回収し、夏休みの終わりのリビングで、秋の実戦に向けた「真の修正」へと踏み出すことにしよう。
次回、
【夏休みという実戦⑤】 〜夏休み終了時点で、何が残っていれば成功か〜

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