合格発表の日。校舎の前に張り出された掲示板の前で、地鳴りのような歓声が上がる。
自分の受験番号を見つけ、抱き合って涙を流す親子。
スマートフォンのカメラで合格通知を何度も写す家族。
LINEの画面には、友人や親戚からの「おめでとう」という通知が鳴り止まない。
その瞬間だけを切り取れば、まるでそこで「人生の勝者」と「敗者」が完全に決まったかのように見える。
だが、私は17年間、その風景の「続き」を見続けてきた。
最初に明確にしておきたい。
第一志望に合格すること、熊高や済々黌の門をくぐることの価値は、圧倒的だ。
そこで得られるハイレベルな環境、切磋琢磨できる友人、そして「やり切った」という確固たる自信は、間違いなく君の人生の選択肢を大きく広げてくれる。
その価値を、私は1ミリも否定しないし、どこまでも堂々と目指すべきだ。
しかし、同時に知っておいてほしい、もう一つの冷徹な真実がある。
合格は、重要だ。しかし、万能ではない。
■ 掲示板の「3年後」に起きること
私の教室からは、毎年高校へ進学していく。
しかし、合格の鐘が鳴り響いたその瞬間に、もう一つの「現実」が静かに幕を開けるのだ。
ある生徒は、猛勉強の末に念願の熊高にトップクラスの成績で合格して、ワカスクに入塾。
しかし、合格した瞬間にすべての糸が切れ、高校入学後は全く机に向かわなくなってしまった。
周囲の秀才たちに圧倒され、自信を失い、いわゆる「燃え尽き症候群」のまま3年間を過ごすことになった。
一方で、第一志望の伝統校を僅差で逃し、私立高校へ進学した生徒がいた。
不合格の日は親子で大号泣した。
しかし、彼はその悔しさを静かにエネルギーに変え、進学先の高校で「自分の居場所」と「新たな目標」を見つけた。
生き生きと自分のペースで学び直した彼は、3年後、大学受験で大逆転を果たし、かつて熊高に進学したどの同級生よりも、自分が本当に生きたかった道を歩んでいる。
こうした風景は、塾の現場では決して珍しい話ではない。
むしろ、毎年当たり前のように繰り返される日常だ。
ここで、私たちはハッと気づかされる。
合格は「結果」であって、人生の「成功」ではないのだ、と。
■ 受験神話を、終わらせる
はっきりと一言で言おう。
合格は、能力の証明ではない。その日の勝敗の結果にすぎない。
この言葉は、合格した人間を貶めるためのものではない。
同時に、不合格だった人間を慰めるためのものでもない。ただの「事実」だ。
熊高は素晴らしい。また、どの高校も素晴らしい。
けれど、そこに君の人生のすべてを保証してくれるような「魔法のチケット」など、1枚も存在しないのだ。
私たちが本当に終わらせなければならないのは、特定の高校の名前に平伏し、そこに入りさえすれば一生安心だと思い込む、盲目的な「受験神話」そのものである。
人生は、合格発表の日の先の方が、はるかに、圧倒的に長い。
主役は高校の名前ではない。
その制服を着て、あるいは別の制服を着て、そこから「どう生きるか」を決める君自身なのだ。
もしも、合格が成功ではないのなら。
もしも、不合格が失敗ではないのなら。
私たちは一体、何を基準に、この受験という旅を、そしてこれからの人生を評価すればいいのだろう。
次回、
【受験とは何か③】〜不合格は失敗ではない〜
不合格の通知を受け取った日、世界が終わったように絶望する親子へ。
あの日の涙の裏側に隠されていた、数年後にしか分からない「もう一つのギフト」について。

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