〜合格したのに、なぜ安心できないのか〜
3月の合格発表の日。
自分の受験番号を見つけ、「あった……!」と震える声で呟き、親と抱き合って涙を流す。
周囲の大人たちからも「おめでとう」「よくやったね」と割れんばかりの拍手をもらう。
あの瞬間、親子は間違いなく、世界で一番まばゆい幸福の絶頂にいる。
これでようやく、終わりのない暗闇から抜け出せた。
この最高峰の切符さえ手に入れば、もう二度と怯えなくていい。
私たちの受験は「上がった」のだと、誰もが確信する。
しかし、私が熊本の現場で目撃してきた本当の現実は、その華やかな劇終の、わずか数ヶ月後に始まる。
春が過ぎ、秋を迎える頃。
あれほど命がけで憧れ、勝ち取った熊高や済々黌の教室で、かつて地元の中学校で「天才」と呼ばれた子どもたちが、今度は「学年順位350番」という冷徹な数字を突きつけられて、激しい眩暈(めまい)に襲われている。
中学時代には「〇〇くんは熊高に行くらしいよ」と近所や塾で噂され、トップを走る英雄だった。
しかし一歩その校門をくぐれば、周囲にいるのは全員が「元・学年1位」の化け物たちだ。
誰からも特別扱いされない。
努力しても、平均点に届かない。
かつての全能感は粉々に砕け散り、子どもたちは人生初の激しい劣等感に身を焦がすことになる。
そして、本当に苦しいのはここからだ。
その我が子の姿を見たとき、あの合格の日に抱き合って泣いたはずの親の顔から、一瞬で笑顔が消える。
リビングの空気は再び冷え込み、
「この成績じゃ、現役で九大どころか熊大(くまだい)も危ういじゃない!」
「せっかく熊高に入ったのに、何をしてるの!」と、
中3の秋と全く同じ諍(いさか)いが、全く同じ熱量で繰り返される。
私たちは、この残酷な現実に立ちすくむしかない。
受かった方がいいに決まっている。
あの環境も、進学実績も、手に入れられるなら絶対に手に入れた方がいい。
だからこそ、私たちは問い直さなければならない。
なぜ、あの合格の日にすべてが終わると思えたゲームが、入学した途端にまた、同じ顔をして始まっているのだろうか。
なぜ私たちは、合格したはずなのに、これほどまでに安心できないのか。
■ 安心を借り続ける、終わりのない席替え
苦しみの正体は、テストの点数が下がったことではない。
「ここまで来ればもう安心できる」と信じていた場所に到達したのに、一滴の安心も得られなかったという事実、それ自体なのだ。
前回、私たちは「熊高に入れなかった親になる恐怖」について考えた。
では、その恐怖を乗り越え、我が子を熊高・済々黌に入れた親たちは、本当に安心を手に入れたのだろうか。
答えは、否だ。
親たちは、安心したのではない。
ただ、「安心を借りる場所」をスライドさせただけなのだ。
中学時代は「模試の順位」から安心を借りていた。
それが合格した瞬間からは「高校の名前」から安心を借りるようになった。
しかし、その高校名という盾の効力は、入学した翌日から薄れ始める。
すると今度は「現役で九大、あるいは国公立医学部へ」という次のラベルから安心を借りようとする。
社会に出れば「就職先」、結婚すれば「孫の学歴」……。
私たちが本当に恐れていたのは、高校の合否ではなかった。
正解のない、不確実な未来。
そこから自分を守るために、私たちは一生、外側のラベルを貼り替えるだけの「終わりのない席替え」を続けなければならなくなる。
■ 辿り着いた頂上の、冷たい風の中で
勉強という「自分自身の冒険」を捨て、偏差値という「身分証明書」を追いかけ、高校名という「安心神話」にすがりついた。
そうして手に入れたはずの勝利の席で、なぜなおも私たちは震えているのか。
問題は、熊高ではなかった。
問題は、済々黌でも、四高の序列でもなかった。
私たちはただ、自分を無条件に肯定してくれる「地面」を、他人の物差しという外側の世界から、一生借り続けようとしていただけなのだ。
他人のスコアボードを見上げ、他人より上か下かでしか自分の存在を確かめられない「比較のOS」を握りしめている限り、私たちはたとえどんな山の頂上に登り詰めたとしても、冷たい不安の風に吹かれ、一生震え続けることになる。
安心を外側から借り続ける限り、このゲームは、絶対に終わらない。
では、私たちはどうすればいいのだろうか。
他人の道を見つめて立ち止まり、外側の安心に裏切られ続けた私たちは、どうすれば、もう一度「自分の物語」を歩き始めることができるのだろうか。
次回、本シリーズ最終回。
【中学生時代の思い込み編⑤】〜自分の物語を取り戻す〜
他人のスコアボードを見る人生から、私たちは今、静かに降りる。

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