すべてのカードは揃った。
中1からの通知表、これまでの定期テストの推移、客観的な現在地を教えてくれた模試のデータ、そして間違いだらけの答案用紙。
私たちは、内申点の正体を見極め、合格ラインという幻を排し、残された時間をどこに集中させるべきかの視点も手に入れた。
いよいよ今日、リビングのテーブルにすべてのデータを並べ、我が家だけの戦略を完成させる。
ここで、私は「議長」である親御さんたちに、最も重要で、最も冷徹な、塾長としての「意見」を伝えておかなければならない。
親が決めた計画は、どこまでいっても親の計画である。
子ども自身が自分のデータを直視し、納得して決めた計画だけが、本当の意味での「我が家の戦略」になる。
ここまで本書を読み進めてくれたあなたなら、もうお分かりのはずだ。
戦略会議の主役は、親ではない。人生のハンドルを握るべき、子ども自身だ。
■ 議長としての親、当事者としての子ども
リビングの机の上にデータを広げたとき、親がやってしまいがちな失敗は、先回りして「あなたの弱点はここで、残り時間はこれだけだから、この理科の暗記に時間を使いなさい」と指示を出してしまうことだ。
それでは、子どもは再び「誰かが決めた正解」をこなすだけの、他人軸の席に座らされることになる。
親の役割は、解説者になることではない。
ただ、問いを投げかける議長に徹することだ。
「ここに、これまでのデータがある」
「この大問別の正答率と、残り時間を見て、自分ではどう思う?」
ただ、ここで勘違いしてはならない。
そう問いかけたからといって、子どもが突然ドラマのように目覚め、「僕は今日から生まれ変わって、この戦略で行く!」などと、流暢に自立の言葉を紡ぎ出すわけではない。
現実の15歳は、もっと不器用で、もっと不確かに揺れている。
問いかけられても、ただ面倒くさそうに黙り込むかもしれない。
親の顔色をうかがって適当な返事をするかもしれない。
その日に一応の計画を決めたとしても、翌週には元のスマホ漬けの生活に逆戻りして、親を失望させるかもしれない。
だが、それでいいのだ。がっかりする必要は、1ミリもない。
その日すぐに答えが出なくても構わない。迷ってもいい。一度決めた約束が翌週に揺れてもいい。
大切なのは、自分のデータという冷徹な現実を見つめながら、自分の頭で「どうするか」を考え始めること、そのものなのだから。
教育の現場は、劇的な感動ドラマでは動かない。
グラグラと揺れながら、進んでは戻る、小さな変化の積み重ねの先にしか、本物の自立はない。
■ 誰もが、自分の人生の戦略家になる
リビングの机の上には、通知表がある。模試の結果がある。
そこにある数字は、決して完璧なものではない。
むしろ、課題だらけで、目を背けたくなるような現実かもしれない。
それでも、構わない。
現在地は見えた。
ゴールも見えた。
その距離の縮め方も、自分の頭で考え始めた。
あとは、決めるだけだ。
誰かが作った既製品の正解ではない。
世界にたった一つしかない、我が家の正解を。

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