【熊本からの大学受験】小学生時代の思い込み編⑤〜自走する子の原点〜【いろはにほへと:第18回】

​〜自走する子の原点〜

​赤ちゃんは、自信があるから歩き出すのだろうか。

​「私ならきっと、二本の足でバランスを取って歩けるはずだ」

そんな根拠や自信を持って、最初の一歩を踏み出す赤ちゃんなど、この世に一人もいない。

彼らは何度も転び、床に頭を打ち付け、泣きじゃくる。

それでも、また起き上がって歩き出しようとする。

​なぜ、彼らは失敗を恐れずに挑戦できるのだろうか。

​答えはシンプルだ。

何度転んでも、笑顔で抱き上げてくれる人が、目の前にいると知っているからである。

​そこには、「歩けたら愛してあげる」という条件もなければ、「早く歩きなさい」という強制もない。

ただ、転んだ自分をそのまま包み込んでくれる圧倒的な安心感だけがある。

だから子どもは、世界を信じ、自分の身体を信じて、もう一歩を踏み出せるのだ。

​私たちはいつから、このシンプルな真実を忘れてしまったのだろう。

​■ 「やる気」の前に必要なもの

​子どもが中学生、高校生と学年が上がるにつれて、大人の悩みはいつも同じ場所に終着する。

「どうすれば、自分で考えて勉強する子(自走する子)になりますか」

​私たちはその答えを求めて、モチベーションの作法を学び、目標設定の技術を調べ、親としての「正しい関わり方」の正解を探そうとする。

​しかし、どれだけ精緻な教育論を組み立てても、子どもが自ら歩き出さない理由。

それは、私たちが「やる気」や「意志の強さ」というエンジンの性能ばかりを気にして、彼らが踏み締めている「地面」を見ていないからだ。

​人は、褒められたから動くのではない。

人は、叱られたから動くのでもない。

人は、「ここにいていい」と信じられたときに初めて、自ら動き始める。

​前回で語った「失敗しても自分の価値は揺らがない」という地面を手に入れた子どもには、不思議な変化が起こる。

誰に言われるでもなく、自ら机に向かい、自ら難問に挑み始めるのだ。

​なぜなら彼らには、失うものがないからである。

間違えても、100点が取れなくても、自分の存在価値は1ミリも傷つかない。

そう知っているからこそ、彼らは「間違えること」を恐れず、安心して未知の領域へと自らを投じることができる。

​多くの人は、「やる気があるから挑戦できる」と思っている。

しかし、現実は逆だ。

「安心できるから、挑戦できる」のである。

​■ 帰る場所

​子どもを動かそうとしなくていい。

子どもを無理にやる気にさせようとしなくていい。

​私たち大人が本当に家庭で作るべきなのは、彼らを走らせるためのトラックではなく、「いつ転んで帰ってきても、そのまま抱きしめる準備ができている場所」、ただそれだけなのかもしれない。

​人は安心したときに休む。

そして、本当に安心できたときに、

初めて歩き出す。

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