卒業式も終わり、みんなが新司法試験対策をし始めました。私は、昼夜逆転の生活を送っていたので、この頃はかなり疲弊していました。そのため、ロースクールの自習室に通うこともなくなり、人と会わない生活が3月から試験直前の4月まで続きました。もう、安定剤飲みまくりで、何とか勉強時間を確保していました。
4月下旬に行われた最後の模試でも、5日間(間1日は休みがある)にわたる試験を、安定剤をたらふく飲みながらなんとか受け切りました。何せ、新司法試験は、論文試験が一番長い日で、6時間・3時間の合計9時間行われます。それがマーク式試験を合わせて、4日間続くのです。精神的にも体力的にもタフでなければもちません。結果は、最悪で、下手をするとマーク式で落とされる可能性まで出てきました。
5年間で3回受験でき、落ちたら受験資格がなくなることで、精神状態はマックスにおかしくなってきました。頭痛がして、頭がいつも熱を持ったような状況になりました。まさに、私の中では「京都大火」です。そして、頻繁に発作が起こるようになり、実家に電話して「今年の受験は、回避したい」と訴えました。初回の試験は受かり易いということで、父は受験するように言いましたが、私は限界ヨロシク状態。何日か実家と電話をし、ついに満を持して、父が京都まで来ることになりました。
父は2日間泊まりましたが、その間も明け方まで父と口論です。ここでも、「京都大火」です。この時、いかに血の繋がった間でも、病気を理解できてないんだと感じました。まぁ、見た目は普通で、口論するぐらいの元気があるので、そう見えたのかもしれません。これがパニック障害の厄介なところなんですよね。はたから見ると元気と思われるのです。
話し合った結果、父が私の苦しみを理解してくれて、一緒にいったん実家に帰ることになります。試験一週間前のことでした。父と新幹線の中で、「10年前にも同じようなことがあったな」と笑いあっていました。実家に戻って、最後の受験に失敗するまでの4年間、人生で最も苦しい期間を過ごすことになります。大学時代を「第一次受験戦争」、ロースクール入学までを「第二次受験戦争」とすると、「第三次受験戦争」が始まります。