私の経歴等について~エピソード2~

学歴・経歴

20分ほど前、新元号が「令和」に決まりましたね。これで、私は3時代を生きることになります。それとともに、「平成生まれ」というプレミア感もなくなります。塾生全員が、昔の人となったわけです。私は全く元号に関しては興味はありませんが。

それよりも何よりも、先日平成31年3月29日に無事入籍を果たし、新しい元号を独身で迎えることはなくなりました。4か月しかない平成31年に入籍したことは、ある意味プレミアだと感じております。

入籍を機に、私の経歴・職歴を6年弱の時を経て書いていこうと思います。結婚をするまでは、紆余曲折・波瀾爆笑の記事を書いていては不利になると考えていました。嫁さんからはゴーサインが出ましたので、何回にわたるかわかりませんが、少しずつ書いていきます。6年前は、早稲田大学法学部に入学したところまで書いていたので、今回は大学1年から大学3年の司法試験2日前までを書きます。

早稲田大学に入学して間もなく、その頃は最短合格のスタンダードだった司法試験予備校に通うことにしました。父からは、「もう少しゆっくりしてからでもいいんではないか」と言われましたが、東京大学に入学した高校の友人よりも早く合格したかったことと、同時期に東京の大学に入学した高校の友人が通うということで、その流れで通うことになりました。後から考えると、それが間違いのもとになってしまいました。衛星授業で分かりやすい講師でしたので、分かった感じになっただけで、その後苦労することになります。東進ハイスクール等が、大学入試の講座を衛星授業でやっていると思いますが、通塾する前に一度体験して、吟味して決められたほうがいいと思います。

アルバイトは禁止、生活費が10万円しか送られないことを考えて、家賃が安い中野区の早稲田生協のアパートに住むことになりました。家賃を除くと4万円で生活していたことになります。無料の共同シャワーしかなかったので、東京で風呂に入ったことはありません。

大学に通い、夕方からは予備校で講義を聞くというハードな生活が始まり、段々と出席を取らない大学の授業にはいかなくなりました。それでも、単位を落としては、大学3年の司法試験を受けられなくなるので、大学の試験は目一杯勉強して受けました。特に語学は落とせないので、第二外国語のフランス語はかなり勉強しました。フランス語の先生から呼び出されて、私の思想等を1時間半ほどじっくり話、文学部に転部して大学教授を目指さないかと誘いを受けましたが、丁重にお断りしました。その甲斐あって、1年生の成績は学年で20番内に入り、授業料も半額免除になりました。

司法試験の勉強は、2年生になるとさらに加速して、ほぼ大学には行かずに毎日10時間勉強し、昼夜逆転の生活が始まりました。3年生になるとゼミに入らなければなりませんが、その後大学長になる民法の田山先生のゼミに入りました。ゼミ参加試験後、面談があり、田山先生からは、「1~2年で司法試験には合格できるよ」と言われ、さらに勉強に打ち込みました。予備校での模試の成績も、第一試験のマーク式でも合格点を取れるようになり、第二次試験の論文でも、全国の優秀答案に何度か掲載され、一発合格が可能のような感じがしていました。

冬休み・春休みも実家には帰らず、12月からは5月の試験前日まで、昼夜逆転で勉強を続けました。ただ、そのころから、体がカッと熱くなったり、呼吸が荒くなったり、異変が起こってきました。それでも若さに任せて、勉強を続け、試験2日前を迎えました。

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