私の経歴等について~エピソード14~

学歴・経歴

晴れてブラック企業に入社した私は、パソコンの戦力にはならないということで、翌日から基礎から仕事を学ぶことになりました。仕事は総勘定元帳を挟むバインダーの作成と、伝票のエクセルへの打ち込みです。総勘定元帳とは、ドラマ等でよくある会社の経理を記載した帳面と考えて下さい。

伝票への打ち込みは、段々と覚えていきましたが、苦労したのはバインダー作りです。2枚の厚紙をストローみたいな棒でつなぎ止め、それに分厚い書面を閉じていく作業です。私はこれを作るのが下手で、初めて自分が不器用なんだと気づきました。それよりも問題だったのは、うまく作れたとしても、人によって感想が違うんですね。もっとギッチギチにしてくれと言われたと思えば、もっとゆったりとしなければいけないと言われたり、もうバラバラです。

「正解は何なんですか!!」と上司全員に尋ねたところ、バインダー作りをめぐって、上司たちが1時間ほど話し合う事態に。そこで社長に、自分の上司をはっきりさせるために指揮体系の明確化と、バインダーの作り方を統一すること進言しました。すると、社長は「改革しろと言っても、伝統があるからなぁ・・・」と。そう言う社長の後ろの額縁に、「改革なければ、前進なし!!」との言葉が刻まれており、シュールな状況に呆れて笑いそうになりました。

この後、上司女性三羽烏の私に対する言葉の暴力が始まります。例えば、昼食を食べていると「顔を見たくないから、別のところで食べて」等々。これまでは、比較的友好に接してくれる人が多かった人生でしたので、このように嫌われたの初めての経験でしたね。

その他にも、2週間に一度は、誰の公演かもわからないCDを渡されて、4枚ほどのレポートを書かされたり、営業部の社員からは「俺らがお前らを食わせてるんだ」と罵倒されたりと呆れてものが言えない会社でしたね。その度に、社長との押し問答をしていましたよ。結局、サービス残業も続き、精神的にも爆発寸前になっていたので、3ヵ月で退社しました。社長からは、「君は、起業家向きだよ。」と最高の皮肉を言われましたけどね。残業代を請求しようかとも思いましたが、私も言いたいことを言っていたので、お互い痛み分けだと思い止めました。

私よりも後に入社して、唯一の友人になった税理士も、私が辞めた後1ヵ月後に辞めてしまいました。中には、3日間で辞めた社員もいたようです。その2年後に、その友人に聞いたのですが、私がいたときにいた社員さんは、3分の1ぐらいになってるようでした。退社して正解でしたね。

3ヵ月の期間でしたが、初めてサラリーマンを経験できて良かったです。この会社が異常だったのだと思い、パソコンを身に付けるのが先決だと考えて、丁度9月下旬から始まる職業訓練に1年間通うことになりました。ただ、この頃は、この会社をさらに凌駕するブラック企業に入ることになろうとは、夢にも思っていませんでしたが。。。。。

今後は、職業訓練編に入っていきます。

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