私の経歴等について~エピソード10~

学歴・経歴

色々と忙しく、なかなか書くことができませんでした。今回で遂に、エピソード10まで来てしまいました。こんなに長くなるとは思っていなかったのですが。このままいくと、20近くまでは行く可能性がありますね。

遂に「第三次受験戦争」の始まりです。京都から熊本に帰ってすぐに、腕の良い心療内科で診断を受けました。ここで初めて、「パニック障害」と正式に診断されました。なんでも、セロトニンがうまく分泌されてなく、交感神経と副交感神経が正常に作用していない症状ということでした。服用していた薬の量を告げたところ、「薬を飲みすぎて、頭が働いてない~!!」と、ハズキルーペのケン・ワタナベ並みの勢いで言われました。

なんでも、安定剤を服用するということは、脳の「のぼせ」を冷やすめで、私の服用していた薬の量だと、脳の半分は眠った状態で生活しているということでした。「この状態で、良く2年間ロースクールに行けたね」と、嬉しくもない賛辞を贈られたのを覚えています。今後は薬物依存を改善していき、セロトニンを増やすための薬を服用していくことになりました。15年経った現在でも、定期的に心療内科には通っています。一生付き合っていかなければならない病気のようですね。

受験勉強の方は、ロースクールに行く前に通っていた予備校の自習室で、朝9時から夜9時まで籠りっきりで勉強していました。マーク式模試・論文模試でも、全国で上位の成績を取って、順調に勉強を1年間続けました。ただ、30代を過ぎて無職で勉強をしていると、親戚縁者に会う時が面倒になります。「まだ、勉強してるの?本当に勉強が好きねぇ!!」と言われることが多々ありました。「いや違うんだ!!本当は勉強なんかしたくないに決まってるやん!!ただ、資格を取らなければいけないから嫌々やってるんじゃい!!」と言いたかったですね。受験生の皆さん、安心してください。勉強ができる殆どの生徒は、本当は嫌々勉強をしてるんですよ。

一年間順調に勉強を続けて、満を持して新司法試験の初受験を迎えました。4泊5日の試験ですので、久々に父親同伴の受験です。薬を服用しながらも、なんとか無事試験を受け切りました。自分の中では、合格できてる感触はありました。5月に試験を受けて、発表は9月です。これだけ待たせるなんて、どれだけドSな試験なんだよと思ってしまいます。試験後も不合格のことを考えて、勉強を続けなければならないんですよ。この4か月は精神的にきついですね。

そして、合格発表の当日を迎えました。おそるおそるネットを開くと、私の番号はありませんでした。これは本当につらかったです。同期の友人も、多数合格していました。ただ、合格が確実と思われていた友人も不合格。合格しないだろうと思われていた友人は合格と、採点基準が分からなくなりました。結果が返ってくると、1教科を除いては、合格ラインか合格点を超えていました。その1教科がめちゃくちゃ悪く、不合格になってしまいました。合格すると思われていた友人も、同じ1教科が極端に悪かったということでした。その友人は、悪かった教科が得意だったので、ますます採点基準が分からなくなってきました。

こうして、合格できると自信をもって臨んだ初受験は、失敗に終わってしまいました。残りの受験回数は、3年間で2回。プレッシャーが重くのしかかってきました。ここから、迷走が始まります。

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