【熊本からの大学受験】それでも受験は続いていく②​〜勝ちたい気持ちは、否定しなくていい〜【いろはにほへと:第30回】

​勝ちたい気持ちは否定しなくていい

​模試の結果が返却される。

恐る恐る帳票を開くと、前回よりも偏差値が「3」上がっていた。

​「やった!」

胸の奥から湧き上がる純粋な喜び。

自分の努力が実を結んだ瞬間だ。

しかしその直後、ふと隣の席の友人の帳票が目に入る。

自分よりも、遥かに上の点数を取っていた。

​その瞬間、さっきまであんなに満たされていたはずの喜びは、霧のように一瞬で消え去り、代わりにどす黒い焦りと嫉妬が胸を支配する――。

学校や塾の教室で、毎年のように繰り返される光景だ。

このとき、子どもたちの心(そしてそれを見る親たちの心)で何が起きているのだろうか。

​私たちは気がつかなければならない。

自分が欲しかったのは「自分の成長」ではなく、いつの間にか「他人より上であるという証明」になっていたのだということに。

​ここで、私はあなたに、とても残酷で、けれど最も大切な問いを投げたい。

君は本当に、その場所へ勝ち進みたいのか。

それともただ、「負けた」と思いたくないだけなのか。

​■ 目的地のない競争という砂漠

​「勝ちたい」と思うことは、決して悪ではない。

世間の教育論ではよく「人と比べるのをやめよう」と美しく語られるが、本気で上を目指している人間が、勝負の場で「勝ちたい」と願うのは極めて自然な本能だ。

​問題は、そのエネルギーの「向き」なのだ。

​もしも君の走る理由が「負けたと思いたくないから(他人のスコアボード)」であるならば、その受験はどこまで行っても地獄のままだ。

なぜなら、学年で1位になろうが、県内でトップを取ろうが、上には必ず誰かがいる。

他人に勝つことそのものが目的になった瞬間、勝っても勝っても「次は抜かれるかもしれない」という恐怖から解放されることはない。

それは、終わりのない砂漠を走るようなものだ。

​では、他人のスコアボードを下ろした人間の「本当の向上心」とは何だろうか。

​それは、昨日より何点上がったかでも、誰に勝ったかでもない。

「私には、行きたい場所がある。だから走る」

​ただ、それだけだ。

熊高に行きたい。

将来、医師になりたい、教師になりたい、ゲームを作りたい、まだ見ぬ宇宙を研究したい。

理由は何でもいい。

自分の中に「目的地」があるから、その距離を埋めるために努力する。

​そうなったとき、初めて「競争」は主役の座を奪われ、単なる「副産物」へと降格するのだ。

​■ 1位を目指していい

​だからこそ、私はもう一度言いたい。

​1位を目指していい。

熊高を目指していい。

済々黌を目指していい。

第二も、第一も、学年トップだって堂々と目指していい。

​ただ、一つだけ忘れないでほしい。

それらは君の人生のゴールではない。

君が、君の行きたい場所へ行くための、ただの「通過点」にすぎないということを。

​主役は順位ではない。君自身だ。

​他人に勝つためではなく、自分の目的地へたどり着くために、もう一度その物差しを握り直そう。

他人への執着を手放した君の胸には、もう、すぐに燃え尽きるような偽物のガソリンは入っていない。

「私は、あそこへ行きたい」

という、静かで、誰にも消せない本物の炎が灯っているはずだ。

​次回、

【それでも受験は続いていく③】〜努力は才能ではなく技術である〜

​順位から逃げず、目的地も決まった。

だが、受験で最も難しいのは、才能の有無でも根性の強さでもない。

「毎日、机に向かい続けること」そのものだ。

私たちは、努力という行為の正体を、誤解しすぎていたのかもしれない。

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