【第1章:資料編】
第一高校・第二高校 過去5年間 進学実績推移
本稿では、今年度(令和8年度)を含めた過去5年間(令和4年度〜令和8年度)において、各学校が公表している進学実績データをそのまま整理し、事実として提示します。
1. 熊本第一高校:過去5年間推移
国立大学(データ開示大学)
※九州大、および熊本大の現役文理内訳、他国立大の現浪内訳は各校の開示データに準拠。
大学名・内訳 R4 R5 R6 R7 R8
九州大・現役 5 5 6 3 3
九州大・浪人 0 1 2 0 1
九州大・総計 5 6 8 3 4
熊本大・現役 51 56 47 49 53
└ 現役文系内訳――――27(R8)
└ 現役理系内訳――――26 (R8)
熊本大・浪人 4 3 5 1 6
熊本大・総計 55 59 52 50 59
公立大学(データ開示大学)
大学名・内訳 R7 R8
熊本県立大・現役 45 52
└ うち総合管理学部――――35(R8)
私立大学(データ開示大学)
※各年度の開示様式に準拠(現役・浪人の枠が未分離の項目は総数として記載)。
大学名・内訳 R4 R5 R6 R7 R8
同志社大・現役 6 2 4 4 0
立命館大・現役 12 9 12 6 9
中央大・現役 1 6 1 2 1
法政大・現役 1 0 0 3 1
西南学院大・現役33 36 55 23 31
福岡大・現役 47 81 105 58 81
2. 熊本第二高校:過去5年間推移
国立大学(データ開示大学)
※推薦(学校推薦型選抜)および一般入試の内訳、他国立大の数値は各校の開示データに準拠。
大学名・内訳 R4 R5 R6 R7 R8
九州大・現役 10 4 5 8 5
九州大・浪人 0 1 3 1 1
九州大・総計 10 5 8 9
熊本大・現役 61 59 52 52 42
└ うち推薦合格22 24 22 18 13
└ うち一般合格39 35 30 34 29
熊本大・浪人 5 10 6 4 7
熊本大・総計 66 69 58 56 49
鹿児島大・現役 32 22 30 21 26
公立大学(データ開示大学)
大学名・内訳 R4 R5 R6 R7 R8
熊本県立大・現役40 47 56 45 42
└ 総合管理学部 32 32 31 30 27
└ 環境共生学部 1 8 13 7 13
私立大学(データ開示大学)
大学名・内訳 R4 R5 R6 R7 R8
立命館大・現役 12 9 12 12 4
福岡大・現役 47 81 67 87
以上が、各校が公表している進学実績データです。
数字をどのように読むかについては、様々な見方があります。
次回は、このデータから読み取れること、読み取れないことを整理してみます。
【第2章:数字の読み方編】数字は何を語り、何を語らないのか
第1章(資料編)では、熊本第一高校(第一)と熊本第二高校(第二)の過去5年間の進学実績データを提示しました。
熊本県を代表する進学校として比較されることの多い二校ですが、開示された数値の推移や分布には、いくつかの明確な差異(非対称性)が見られます。
これらの数字を前にしたとき、私たちはつい「あの学校の受験戦略が優れているからだ」と、手元にある情報だけで分かったような理由(原因)を組み立てたくなります。
しかし、私たちが目にしている「合格者数」という公開データは、複雑な受験プロセスのほんの一断面に過ぎません。
第2章では、私たちが「何を知っていて、何を知らないのか」を整理し、数字が教えてくれることと、教えてくれないことの境界線を客観的に検証します。
1. 熊本大学「推薦型選抜」の数値が語らないこと
第二高校の開示データにおいて、熊本大学の学校推薦型選抜による現役合格者数が、令和5年度の24名をピークに、22名⇒18名⇒13名へと減少しているのは動かしようのない事実です。
この「13名」という数字から、私たちは学校で起きている現象の「結果」を知ることができます。
しかし、ここから「合格力が下がった」と断定することはできません。
なぜなら、各高校における「推薦の出願者数」は公表されていないからです。
- 校内の出願希望者自体が減ったのか(分母の減少)
- 出願者は例年通りだが、不合格者が増えたのか(合格率の低下)
- 大学側の求める基準や配点比率が変わったのか(外部要因)
分母(出願者数)が分からない以上、分子(合格者数)の増減の理由を一つに絞り込むことは論理的に不可能です。
私たちは現象そのものを知ることはできても、その手前にある生徒たちの動向や選択の因果関係までは、この数字からは判別できないのです。
2. 福岡大学「87名」という数値の構造的限界
私立大学の合格実績においても同様です。
令和8年度の福岡大学における現役合格者数は、第一高校の81名に対し、第二高校は87名という高い数値を示しています。
また、両校ともに過去5年間で40名台から80名台へと大きく数字を伸ばしています。
この数字の多さは事実です。
しかし、この結果だけを見て「第二高校は私大の併願戦略を強化している」と結論づけることには無理があります。
なぜなら、私立大学入試においては一人の受験生が複数の学部・学科を併願できるため、必ず「重複合格」が発生するからです。
- 1人の受験生が4つの学部に合格したケースが多発した結果の「87名」なのか
- 87人の生徒がそれぞれ1つずつ合格を積み上げた結果の「87名」なのか
実際に必要な「学部別の詳細な出願数」や「受験方式別の内訳」といった一次データは一般に開示されていません。
1人の生徒が複数の合格を保持している可能性を排除できない以上、表面的な数字の多さだけで、学校の指導方針や生徒全体の併願傾向までを決定づけることは不可能なのです。
3. 熊本大学「文理ハーフ&ハーフ」をどう見るか
第一高校のデータにおいて、令和8年度の熊本大学現役合格者(53名)の内訳が「文系27名・理系26名」と、非常に均衡している事実は、同校の現在の進学実績を雄弁に物語っています。
この綺麗な分布を目にしたとき、私たちは「文理をバランスよく育てる環境がある」という因果関係を無意識に組み立ててしまいます。
しかし、これもまた、数字という結果から逆算して作った一つの仮説に過ぎません。
実際の入試は、生徒個人の模試の判定、共通テスト当日の各教科の難易度、出願時の心理的な駆け引きなど、無数の個人的な分岐を経て決定されます。
その結果として現れた「27対26」という現在の均衡を、学校全体の指導体制という単一の原因に帰結させることは、データの読み方として飛躍があります。
4. なぜ私たちは数字に「物語」を求めてしまうのか
私たちは、結果の数字を前にすると、その背景にある理由を知りたくなります。
しかし、理由を求める気持ちが強くなるほど、事実と解釈の境界線は見えにくくなります。
数字を読むとは、数字から自由に物語を作ることではありません。
むしろ、「どこまでが事実で、どこからが自分の解釈なのか」を厳密に区別する営みなのです。
数字は入口です。
しかし、入口だけでは建物の中は見えません。
次章は、このデータシートには載らない「建物の中の真実」について、静かに書いてみたいと思います。
【第3章:人を見る編】私の頭に浮かんだのは、学校名ではありませんでした
第1章で精緻な数字を集め、第2章でその数字が語る「結果」と、語らない「原因」の境界線を引いてきました。
熊本第一高校と熊本第二高校。
開示された過去5年間のデータシートは、そこに確かに存在した「現象」を私たちに教えてくれました。
しかし、それらのデータはどれほど眺めても、受験という現実を理解するための「入口の看板」に過ぎません。
第3章では、その看板をくぐり、データシートには決して載ることのない建物の中の真実――すなわち、「数字の向こう側にいる人間の存在」へと視点を移します。
1. データシートに刻まれない「1」の重み
私たちは、進学実績に並ぶ数字の多さに目を奪われます。
しかし、言うまでもなく、その数字は「1」という最小単位の積み重ねによって構成されています。
そして、その「1」の背景にある物語は、決して一様ではありません。
- ある生徒にとっては、模試でずっとE判定だったところから、最後の共通テストで奇跡的な粘りを見せて掴み取った、執念の「1」かもしれない。
- またある生徒にとっては、第一志望だった高い壁に届かず、涙を流しながらも、次の一歩を踏み出すために覚悟を決めて受け入れた「1」かもしれない。
- あるいは、周囲の期待や空気感に葛藤しながらも、自分が本当に学びたい専門分野を追求するために、あえて私立大学の単願を選び取った、自立の「1」かもしれない。
データシートの上に並ぶとき、これらの「1」はすべて等しく一人の「合格者」として処理され、集計されていきます。
しかし、その数字の向こう側には、教室の机で、あるいは夜の自習室で、自分の将来と泥臭く向き合い続けた一人ひとりの受験生の、割り切れない意思決定のプロセスが存在しています。
数字は「結果」を記録しますが、その結果に至るまでの生徒たちの葛藤、挑戦、そして妥協のグラデーションまでは、1ミリも表現することはできないのです。
2. 「学校の条件」を動かした先にあるもの
受験を控えた保護者の皆様と面談をしていると、多くの場合、会話の主語が「学校名」や「環境」になっていることに気づきます。
「第一高校に行けば、バランスよく育ててもらえるでしょうか」
「第二高校のカリキュラムなら、難関大に間に合うでしょうか」
もちろん、学校側の条件――カリキュラム、進学実績、校風、部活動、通学時間といった環境の比較は、現実の高校選びにおいて極めて重要な要素です。
それらの客観的な条件を無視して「学校なんてどこでもいい」などと言うつもりは毛頭ありません。
だからこそ、私たちは第1章・第2章を通じて、その数字の持つ意味を真剣に検証してきたのです。
しかし、教育の本質は「学校が子どもを育てる」という一方通行ではありません。
子どもがその学校という環境を能動的に使って、自らを育てていくのです。
理数系の進度が速いカリキュラムがあろうと、文理のバランスが取れた環境があろうと、それを自身のエネルギーに変えて駆動させるのは、生徒本人の主体性や、周囲の環境との関わり方以外の何物でもありません。
家庭環境、友人関係、教員との出会い、 school 文化。
それらの環境と本人がどう結びつき、その環境をどう活かすかという「関わり方」のなかにこそ、変化の原動力は眠っています。
3. 数字も大事だ。しかし、人間は数字だけでは表現できない
誤解していただきたくないのは、私はここで「進学実績のような数字には価値がない」という、安易な感情論を語りたいわけではないということです。
数字は極めて重要です。それは学校が積み上げてきた歴史の指標であり、そこで生徒たちが真剣に勝負した軌跡そのものだからです。
しかし、それと同時に、人間という存在は、数字というフォーマットだけでは決して表現しきれない複雑さを持っています。
高校3年間という時間は、大学合格のためだけの準備期間ではありません。
部活動で仲間と流した汗、文化祭でぶつかり合った経験、何気ない休み時間の会話、そして「自分は何者なのか」と悩み抜いた時間。
そうしたデータシートに載らないすべての営みが、その子の人生の根っこを形作っていきます。
進学実績の数字は、その豊饒な3年間という現実を切り取った、ほんの一断面に過ぎません。
その一断面の数字だけを基準に我が子の未来をすべて当てはめようとすることは、教育の射程をあまりにも狭めてしまう行為ではないでしょうか。
結び:データを経て、我が子に会う
「第一高校と第二高校、どちらが本当に伸びる学校ですか?」
もし今、改めてそう問われたなら、私の頭に浮かぶのは、やはり特定の学校名ではありません。
私の頭に浮かぶのは、いま塾の教室で、背中を丸めて過去問と格闘している生徒たちの顔です。
それぞれの強みがあり、それぞれの弱みがあり、それぞれの模試の結果に一喜一憂しながらも、自分の足で立とうとしている、あの子たちの姿です。
第一高校にも第二高校にも、毎年熊本大学へ進学する生徒がいます。
第一高校にも第二高校にも、想像以上に伸びる生徒がいます。
第一高校にも第二高校にも、途中で進路変更する生徒がいます。
第一高校にも第二高校にも、勉強に苦しむ生徒がいます。
結局のところ、学校は子どもの人生を決定する装置ではなく、その子が3年間を過ごす環境の一つに過ぎません。
私たちが見るべきなのは、「どちらが上か」ではなく、「我が子はどちらで力を発揮できるか」なのだと思います。
高校選びは学校の比較から始まります。
しかし、それだけでは終われません。
データは見るべきです。
学校も見るべきです。
しかし、最後に見るべきなのは、その学校に通う「我が子」という一人の人間です。
「どちらの学校が優れているか」という記号の優劣ではなく、「我が子が、どの環境に身を置いたときに、最も自分らしく、最もエネルギーを燃やして3年間を駆け抜けることができるか」を考えることが、高校選びの出発点なのかもしれません。
データシートを閉じ、数字という入口をくぐり抜けたら、どうかその先にある、お子様の生身の姿をじっと見つめてあげてください。
数字をリスペクトし、しかし数字に支配されない眼差しを持ったとき、初めて私たちは、その子にとっての「最高の選択」に伴走することができるのだと、私は考えています。

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