前回までは、大学3年生の司法試験を断念して、実家に戻ったところまで書きました。気持ちとしては、「都落ち」をしたような感じで、本当に情けないと感じていました。この時からの7年間は、まさに「暗黒の時代~パート1~」でした。しかし、人生で考えると、最も楽しく、最も充実していた7年間でもありました。
実家に戻ってからは、係りつけの内科の先生に紹介して頂き、心療内科で診断してもらいました。病名は「自律神経失調症」。その先生が処方してくれた薬の説明を求めても、ただ、「飲んでおけ!!」と言われただけでした。このことで、心療内科が信頼できなくなり、通院はしなくなりました。内科の先生の出してくれる安定剤を服用しながらの生活が始まりました。30歳代になって、今はジャニーズで世に知られるようになった「パニック障害」と判断されたのですが、その頃はまだそのような病名はなかったようですね。
実家に帰って1年ぐらいは、発作が急に出て過呼吸になり、家の中を歩き回るという状況。なった者にしか分かりませんが、本当に八方ふさがりになった感じがして、過呼吸が収まるまでは、「このまま死ぬんではないか?」と思うほどきついんですよね。そのため、親の勤め先について行ったりと、誰かが側にいないと生活できない状態でした。それでも、大学3・4年生の大学の試験は年末に受けに行き、親戚や病状を知っている友人の家を転々として、なんとか卒業までこぎつけました。この時ほど、私立大学で良かったと思ったことはありません。国公立大学と異なり、出席を全くとらないからです。もちろん、卒業式にも参加せず、卒業証書だけ送られてきましたが、何の感動もなかったですね。
遡って、実家に帰って1年目・2年目は何をしていたかというと、もちろん勉強は1秒もしていません。ただ、年の離れた小学生の妹が、実家に帰った年の6月の陸上長距離のレースで全国大会の切符を取り、そのころから少しずつ陸上の指導を始めました。もともと私は、中学時代、570人規模の学校で長距離だけは学年で3番内に入っていたこともあり、走ることは好きでした。大学に入っても、ランニングを毎日1時間ほどしていたので、走ることは苦ではありませんでした。ここから、人生で最も楽しかった7年間が始まります。