【ちりぬるを】ー勉強する子は、どうやってつくられるのか【第2話】

第2話 毎日来る子は、何が違うのか

夏休み。

私は毎日、生徒が教室に入ってきた時刻を書いています。

10時17分。

12時。

13時。

13時30分。

14時06分。

そして帰るときにも、

15時20分。

16時。

17時。

と記録する。

最初は、単純に自習室の利用時間を把握するためでした。

誰が何時間いたのか。

今週は何時間勉強したのか。

それを知るための記録です。

ところが、この夏。

毎日その数字を書いているうちに、私は少し違うものが見えてきました。

来る子は、また来る。

昨日来た子が、今日も来る。

そして今日来た子が、明日も来る。

一方で、一度来なくなった子は、そのまま何日か姿を見せなくなることがある。

私は最初、

「勉強する子だから塾に来る」

と思っていました。

でも、本当にそうなのでしょうか。

もしかすると、順番が逆なのかもしれません。

塾に来るから、勉強するのではないか。

■ 10時17分に、二人が来た

8月26日。

この日は10時17分に、二人の生徒が教室に入りました。

別に、朝から勉強しなければならない日ではありません。

夏休みです。

学校もない。

朝寝坊しても誰にも怒られない。

昼から来てもいい。

来なくてもいい。

それでも二人は来た。

そして机に座った。

私はいつものように、その日の課題を渡します。

そこからは、特別なことは起こりません。

問題を解く。

丸をつける。

間違える。

やり直す。

ページをめくる。

それだけです。

その後も生徒が入ってきます。

13時に一人。

13時12分に一人。

13時30分に二人。

14時06分にも生徒が来た。

14時35分にも来た。

教室に入ってきた時刻はバラバラです。

勉強する内容も違います。

数学をやる子。

英語をやる子。

理科をやる子。

受験生もいれば、まだ受験まで何年もある子もいる。

でも、一つだけ共通していることがあります。

教室まで来た。

当たり前すぎる話です。

ところが最近、私はこの「来た」という事実を、以前より重く見るようになりました。

■ 勉強時間の前に「0」がある

たとえば、3時間勉強した生徒がいたとします。

私たちは、その「3時間」を評価します。

よく頑張った。

集中した。

継続できた。

もちろん、それも大切です。

でも、その3時間が始まる前には、必ずある行動があります。

家を出る。

塾へ向かう。

扉を開ける。

席に座る。

テキストを出す。

そして最初の1問を解く。

3時間勉強するためには、まずこの「0から1」が必要です。

逆に言えば、どれほど立派な学習計画を作っても、教室に来なければ何も始まりません。

英単語100語。

黄チャート10題。

世界史20ページ。

私がどれだけ細かく予定を作っても、

本人がそこにいなければ、

学習時間は0分です。

当たり前です。

でも、教育では、この当たり前が意外と見落とされます。

■ 「やる気が出たら勉強する」は、本当なのか

子どもが勉強しないとき、大人はよく、

「やる気がない」

と言います。

私もそう考えることがあります。

でも、この夏の教室を見ていると、少し疑問が出てきました。

毎日来ている生徒が、毎日ものすごくやる気に満ちているかというと、そんなことはありません。

眠そうな日もあります。

疲れている日もある。

問題が解けずに手が止まることもある。

「今日はきついな」という顔をしていることもある。

それでも来る。

そして席に座る。

すると、不思議なことに勉強が始まります。

最初の10分は重い。

それでも問題を一つ解く。

次を解く。

気づけば30分経っている。

1時間経っている。

私は、

「やる気があるから来る」

という一本の線で考えていました。

でも、

「来たから、やるしかなくなった」

という線も、かなり太いのではないか。

そう思うようになりました。

■ 家ではできないのに、塾ではできる

これは子どもの意志が弱いという話ではありません。

家には、勉強しないための選択肢が大量にあります。

ベッドがあります。

スマホがあります。

テレビがあります。

冷蔵庫があります。

家族もいる。

少し疲れたから横になる。

スマホを少しだけ見る。

気づけば30分。

「3時からやろう」

3時になったら、

「4時から」。

そして夕方になる。

これは大人でも同じでしょう。

ところが教室に来ると、選択肢が急激に減ります。

目の前には机。

横には教材。

周囲を見ると、誰かが勉強している。

そして私から、

「今日はここ」

と課題を渡される。

あとは、やるか、やらないかです。

選択肢がほとんどない。

ここで私は、第1話で考えた「学校という装置」のことを思い出しました。

学校があるから勉強できる子がいる。

だったら夏休みに、その装置が消えたあと、

別の装置を置けばいいのではないか。

それが自習室なのかもしれません。

■ ただ、来させ続ければいいのか

しかし、ここでも私は簡単に結論を出したくありません。

毎日塾へ来させれば、勉強習慣が身につく。

そんなに単純な話なら、誰も苦労しないでしょう。

塾に来ても集中できない子もいる。

長時間座っているだけになる可能性もある。

私が課題を決め続ければ、

「先生がいなければ勉強できない子」

を作る危険もあります。

そして、もっと根本的な問題があります。

塾へ来るという行動そのものを、どうやって習慣にするのか。

「来れば勉強する」

のなら、

来ない子をどうするのか。

ここが一番難しい。

私はまだ、その答えを持っていません。

■ 今日も、扉が開く

翌日。

また教室の扉が開きます。

「こんにちは」

いつもの生徒が入ってくる。

私は時刻を見る。

そして記録する。

何時に来た。

何時に帰った。

何時間いた。

これまで私は、その数字を単なる「滞在時間」として見ていました。

でも、今は少し違います。

その数字の前に、

今日も、この子はここへ来た。

という一つの行動がある。

成績が上がったから来るのか。

来るから勉強するのか。

勉強するから少しできるようになり、できるようになるから、また来るのか。

まだ分かりません。

ただ、この夏の記録を見ていると、

「勉強する子」と「勉強しない子」の分岐点は、私たちが思っているよりずっと手前にあるのではないか。

そんな気がしています。

問題集を開くより前。

ペンを握るより前。

勉強時間を計るより前。

その日の扉を開けるかどうか。

そこから、すべてが始まっているのかもしれません。

(『ちりぬるを』第2話 了)

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