【熊本からの大学受験】それでも受験は続いていく④〜その一言は、本当に必要か〜【いろはにほへと:第32回】

 

​〜その一言は、本当に必要か〜  

​夜9時12分。あなたはキッチンに立っている。  

シンクを片付けながらリビングに目をやると、ソファに寝転がった子どもが、スマホの画面をじっと見つめている。  

​学校のワークは開かれていない。塾の課題も終わっていない。  

模試までは、あと10日。  

​その瞬間、あなたの胸の奥から、どす黒いモヤモヤとした感情が広がってくる。

心拍数が上がり、喉の奥まで「あの言葉」がせり上がってくる。  

​「課題は終わったの?」  

「そんなにスマホばかり見ていて、大丈夫なの?」  

​本当は、言いたくないのだ。

そんなことを言えば、子どもが嫌な顔をすることもしつこく反発してくることも、部屋の空気が一瞬で凍りつくことも、これまでの経験から百も承知している。

言いたくて言っている親など、一人もいない。  

​それでも、言わずにはいられない。

言わなければ、この子がこのまま机に向かわず、不合格になる未来が現実になってしまうのではないかと、怖くてたまらないからだ。  

そして結局、耐えきれずに言葉をぶつけ、子どもの心を閉ざさせ、夜、布団の中で激しい自己嫌悪に陥る――。  

​多くの家庭で、今夜も繰り返されるであろうこの苦しみ。  

ここで私たちは、世に溢れる「正しい声かけマニュアル」をいったん脇に置いて、最も静かで、最も残酷な問いを自分自身に投げかけなければならない。  

​「今、口から出そうになっているその言葉は、愛情か。それとも、私の不安か」 

■ 不安を子どもに回収させない  

​子どもを信じたい自分と、失敗した未来を想像して怯えている自分。  

後者の「怯え」が勝ったとき、私たちの口からは「勉強したの?」という言葉が飛び出す。  

​つまりその言葉は、子どもを動かすためのものではない。

親である自分自身が、目の前の不安に耐えきれなくなり、「子どもに勉強のポーズを取らせることで、自分の不安を解消したい」という心の悲鳴なのだ。  

​親は「何を言うか」で失敗するのではない。  

自分の胸にある「不安」をそのまま言葉に乗せて、子どもにぶつけるから失敗するのだ。  

​だからこそ、今日から実践してほしい技術が、たった一つだけある。  

​喉の奥から言葉が出そうになったら、まず「3秒」だけ待つ。

​そして、キッチンで深く息を吸い、その3秒の間に自分に聞いてみてほしい。  

「この言葉は、子どものためか。それとも私の不安のためか」  

​もしも、後者だと気づいたなら――その言葉は、そのままグッと飲み込んでいい。

言わなくていい。

あなたが言葉を飲み込んだその3秒間こそが、他人のスコアボードを下ろし、子どもの人生のハンドルを手放した、本当の瞬間なのだ。  

​■ 不安を引き受けたあとに残る言葉  

​自分の不安を自分で引き受け、言葉のナイフを飲み込むことができたとき。  

あなたの心には、不思議な静けさが訪れる。  

そのとき初めて、不安に曇っていない「目の前の子どもの本当の姿」が見えてくる。  

​スマホを見ているその子は、ただ怠けているのだろうか。  

もしかしたら、学校や塾で一日中、数字と順位の嵐に晒されて、クタクタに疲れているのではないだろうか。

プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、必死にスマホの画面で現実から心を隠しているのではないだろうか。  

​そこに気づけたとき、親の口からは、それまでとは全く違う言葉が自然と零れ落ちるはずだ。  

​「勉強したの?」ではなく、「何か手伝えること、ある?」。  

「課題は終わったの?」ではなく、「今日、なんだか疲れてる?」。  

​あるいは、何も言わずに、ただ温かいお茶を机に置いてそっと部屋を出る。  

​親の成長とは、本に書いてあるような「正しい言葉」を新しく覚えることではない。  

言葉を発する前に、自分の不安を子どもの背中に押し付けるのをやめ、自らの胸で引き受けることなのだ。  

​子どもを追い詰める言葉の多くは、悪意から生まれるのではない。  

愛情と不安が、区別できなくなった瞬間に生まれる。  

だからまず、子どもの前で話す前に、自分の心の声を聞いてみよう。  

​次回、  

【それでも受験は続いていく⑤】〜家庭の空気は、誰が作るのか〜

​努力の技術を学び、親が言葉を整えた。  

その先にある最後のピース。

受験生という過酷な旅人が、ボロボロになりながらも毎日帰ってきたくなる「家庭」という環境の作り方について。  

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