【ちりぬるを】――勉強する子は、どうやってつくられるのか【第9話】

第9話 勉強時間を増やせば、本当に成績は上がるのか

夏休み。

ワカスクでは、朝から生徒がやってきます。

10時。

一人入ってくる。

少し遅れて、また一人。

昼になると高校生が増え、

午後には中学生もやってくる。

私は毎日、その時刻を記録しています。

入室。

退出。

また入室。

そして一日の終わりに、

その子が何時間、教室にいたのかが残ります。

2時間。

4時間。

6時間。

夏休みになると、

かなり長い時間を教室で過ごす生徒も出てきます。

ただ、

この記録を取り続けているうちに、

私は一つのことが気になり始めました。

勉強時間を増やせば、本当に成績は上がるのだろうか。

■ 「今日は6時間勉強した」

6時間。

数字だけを見ると、

ものすごく頑張ったように見えます。

もちろん、

6時間机に向かうこと自体は簡単ではありません。

特に、

以前ほとんど勉強していなかった子なら、

教室に6時間いるだけでも大きな変化です。

でも私は、

「6時間」という数字だけでは、

あまり判断しません。

その6時間で、

何をしたのか。

英単語を何語進めたのか。

数学を何題解いたのか。

何問間違えたのか。

昨日の間違いを直したのか。

そこまで見ます。

同じ6時間でも、

中身はまったく違うからです。

■ 2時間の子が、6時間の子に勝つこともある

教室を見ていると、

面白いことがあります。

長くいる子が、

必ずしも一番進むわけではありません。

4時間いて、

驚くほど進む子がいる。

6時間いても、

なかなか進まない子もいる。

同じ高校生。

同じ机。

同じ時間。

それでも、

進み方が違います。

以前なら、

「集中力の差」

で終わらせていたかもしれません。

でも、

記録を細かく見ると、

それだけではありません。

やることが決まっている子は速い。

「今日は何をしよう」

から始める子は遅い。

教材を開いた瞬間、

すぐ問題に入る子は速い。

分からない問題で30分止まり続ける子は、

時間のわりに進まない。

つまり、

勉強時間の前に、

勉強時間の使い方を決める設計

があるのだと思います。

■ ワカスクで「今日は何する?」を減らしたい理由

生徒が教室に来る。

席に座る。

そして、

「先生、今日は何をすればいいですか?」

私は、この時間をできるだけ短くしたいと思っています。

今日やる教材。

範囲。

順番。

ある程度、最初から決めておく。

英単語100語。

黄チャートのPRをここまで。

学校ワークのUnit3を2周目。

化学を2時間。

地理を1時間。

そうすれば、

教室に来た瞬間から始められます。

私は、

子どもの「やる気」を上げようとしているわけではありません。

むしろ逆です。

やる気がなくても始められる状態を作りたい。

■ 夏休みに起きた、少し不思議なこと

この夏、

日曜日も教室を開けています。

10時から16時。

最初は、

どれくらい来るのか分かりませんでした。

学校でもない。

強制でもない。

せっかくの日曜日です。

来ない子のほうが多いかもしれない。

そう思っていました。

ところが、

10時になると一人来る。

10時半。

また一人。

昼。

また増える。

午後になると、

教室の席が少しずつ埋まっていく。

誰かが大声で、

「勉強しよう」

と言っているわけではありません。

みんな黙っています。

隣の子も勉強している。

前の子も勉強している。

しばらくすると、

それが普通になります。

私は、この光景を見ながら、

ずっと考えていました。

勉強習慣というものは、本当に本人の意志だけで作るものなのだろうか。

■ 「空気」は、勉強時間を変えるのか

家では30分でスマホを触る子が、

教室では2時間、3時間と座っています。

同じ人間です。

急に人格が変わったわけではありません。

やる気が突然10倍になったわけでもない。

変わったのは、

場所です。

周りにいる人です。

机の上にあるものです。

そして、

「ここに来たら勉強する」

という空気です。

もしこれが本当なら、

勉強しない子に、

「もっとやる気を出しなさい」

と言い続けることには、

限界があるのかもしれません。

本人を変える前に、

本人を取り囲んでいる環境を変えたほうが早い。

私は今、

そんなことを考えています。

■ ただ長時間座らせればいいわけではない

もちろん、

長く教室にいればいい、

という話ではありません。

疲れている日もあります。

頭に入らない日もあります。

2時間で切り上げたほうがいい日もある。

そして、

長時間学習がその子に合わないこともあるでしょう。

だから私は、

「毎日○時間勉強すれば合格する」

という話には、

少し慎重です。

5時間やったから偉い。

2時間だから足りない。

そんな単純な話ではありません。

私が知りたいのは、

もっと別のことです。

■ 時間が先か、習慣が先か

毎日来るから、

勉強時間が増えるのか。

勉強時間が増えるから、

勉強が苦ではなくなるのか。

周りが勉強しているから、

自分も続くのか。

やることが決まっているから、

長く座れるのか。

まだ、

きれいに分けることはできません。

でも、

一つだけ確かなことがあります。

この夏、

以前より長く机に向かうようになった生徒がいます。

私は、

「もっと勉強しろ」

と言い続けたわけではありません。

教室を開けた。

来た時間を記録した。

やることを置いた。

終わったら、

次を置いた。

それを繰り返しているだけです。

■ では、この時間は点数に変わるのか

ここから先が、

この実験の一番重要なところです。

8月、

何時間教室にいたのか。

何日来たのか。

何をやったのか。

そして、

9月。

定期テストが返ってくる。

模試も返ってくる。

そこで初めて、

この夏の時間が、

本当に学力へ変わったのかが見えてきます。

毎日来たのに、

成績が変わらない子がいるかもしれない。

短時間しか来なかったのに、

大きく伸びる子がいるかもしれない。

あるいは、

すぐには数字に出ず、

半年後に突然伸びる子もいるかもしれない。

分かりません。

だから私は、

今日も入室時刻を書きます。

10時17分。

11時53分。

13時。

13時12分。

そして、

退出時刻も書きます。

一見すると、

ただの数字です。

でも、

この数字を何ヶ月も積み上げた先に、

もしかすると、

「勉強する子はどうやってつくられるのか」

という問いへの答えが、

少しだけ見えてくるかもしれません。

勉強時間が人を変えるのか。

環境が勉強時間を変えるのか。

それとも、

まったく別の何かがあるのか。

まだ結論は出しません。

教室では今日も、

誰かが黙って問題集を開いています。

私は、

その時間を記録し続けます。

(『ちりぬるを』第9話 了)

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