すべての入試日程が終了し、サクラの蕾が膨らみ始める3月。
あの長く、激しかった親子の戦いは、一本の合格・不合格の通知をもって、静かに幕を閉じる。
その春の日に、家庭に残るものは一体何だろうか。
手元に残った、志望校の合格証書だろうか。
それとも、届かなかった悔し涙だろうか。
あるいは、他人に自慢できる偏差値や、内申点の数字だろうか。
17年間、受験が終わり、塾を巣立っていく親子の背中を見送ってきた私は、ここで確信を持って言いたい。
そんな数字や紙切れは、すべて数年も経てば色褪せる。
受験が終わった日に、親子の胸に静かに、けれど一生消えない灯火として残るものは、ただ一つ。
「私は、僕らは、逃げずに自分で決めた目標へ挑み続けた」という、剥き出しの記憶だけだ。
これこそが、人生の最初の実戦訓練を戦い抜いた者にしか手に入らない、本物の財産なのだ。
■ 「戦い方」が、その後の人生のフォームになる
では、私たちはこの最初の訓練を、どう戦うべきなのか。
ただ「周りが受験するから」「言われたから」と、被害者のように数字の嵐に流される戦い方をしてはいけない。
そんな受動的な戦い方をすれば、たとえ熊高に受かろうが、心には「疲弊」しか残らない。
私たちが目指すべきは、「自分の人生のハンドルを、自分で握りしめて戦う」ということだ。
- 自分の意志で、行きたい場所(志望校)を掲げること
- 自分の弱さ(偏差値や順位)から目を背けず、冷徹に現在地を知ること
- どうすれば届くか、泥臭く作戦を立て、今日の1ページをめくること
- 模試の結果に一喜一憂せず、淡々とバグを修正し、翌日また机に向かうこと
気づくだろうか。
この戦い方のステップは、15歳の子どもがこれから社会に出て、誰も答えを教えてくれない不確実な世界で「自分の足で立って生きていく」ときの、最強のフォーム(型)そのものになる。
受験をどう戦うかとは、「これからの人生をどう戦うか」の予行練習なのだ。
■ 親が我が子に渡せる、最高のギフト
だとすれば、隣に立つ親の戦い方もまた、自ずと決まってくる。
子どもの代わりに計画を立て、数字に一喜一憂し、お尻を叩いて走らせるような戦い方は、もう卒業だ。
それでは子どもの「自立の訓練」の機会を、親が奪うことになってしまう。
親の戦いとは、子どもが自分の足でリングに立ち、自分の拳で戦う姿を、信じて見守り続けることだ。
夜9時12分、スマホを見ている我が子の後ろ姿に「3秒」待ち、自分の不安を飲み込むこと。
点数が悪くてボロボロになって帰ってきた日に、いつも通りの夕飯と、いつも通りの「おかえり」で迎えること。
「あなたがどんな結果を出そうが、あなたの価値は1ミリも変わらない。だから、恐れずに思い切り戦ってきなさい」
その「安心の地面」を足元に敷いてあげること。それこそが、親の戦い方であり、我が子に渡せる最高のギフトなのだ。
不確実な未来に向かって、自らの足で灯りを灯して歩く練習。
それが、私たちの高校受験だ。
さあ、親子の心の準備はすべて整った。
スコアボードは下ろした。ハンドルは手放した。最強の避難所も、リビングに作った。
ここからは、この最初の実戦訓練を「圧倒的に勝ち抜く」ための、冷徹で、合理的で、かつ劇的にリアルな【戦術の話】を始めよう。
まずは、多くの熊本の親子を迷わせる、あの不透明な魔物――「内申点」の正体を暴くところからだ。

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