7年間の「陸上競技熱中時代」が終わり、ここから3年間は「僕と妹の受験戦争」に突入します。妹が陸上を引退した後、秋から27歳の私は、「社会復帰ステップ2」として一人暮らしを始めました。一人暮らしといっても、不測の事態に備えて、実家から300メートルしか離れていない「プチ一人暮らし」ですが。
始めは一人暮らしになれるため、予備校へは行かず、アパートの一室で勉強を本格的に再開しました。しかし、ストップウォッチで計って、4時間ぐらいが限度でした。夜は実家に戻り夕食を食べ、妹に少し勉強を教えて帰るという生活です。
この頃、妹は今まで参加していなかった夕課外に参加し始めました。私は反対してましたが、普通の学校生活がしたいとのことでした。しかし、私からすると、全く的を外れた「しょうもない課外」としか思えませんでした。この先生方は、真剣に受験勉強に取り組んだことがあるのかと、疑問を感じる内容でした。妹も最後の方は、意味がないと考えたのか、夕課外にはいかなくなりました。
もともと熊本第二高校志望だったため、東稜高校の定期テストでは、試験直前の詰め込みで50番以内には入っていたようです。私は、陸上競技のことにしか関心がなかったので、どのような番数を取っていたのか全く知りません。頑張って勉強はしましたが、殆ど本当の勉強をしてなかったので、センター試験の結果は、とても国立大学には合格できない点数でした。そのため、今年の試験は見送って、1年浪人することを1月下旬に決めました。大学は1校も受験していません。
基礎ができていなかったので、2月から「ターゲット英単語1900」を3月いっぱいまでやらせました。これは、当塾で高校1年生に始めにやって頂いているものです。4月からは大手予備校の国立大学文系コースに通いだしました。3年間、私が妹に陸上ばかりさせていた罪滅ぼしとして、1年間は妹の受験を手伝おうと考え、その年の司法試験は受験しませんでした。妹が大学に合格するまで、1秒たりとも勉強しておりません。
浪人しても、なかなか数学が上がらず、逆に自分でやってもわかる科目の授業を受けることに無駄を感じて、夏以降は予備校へは必要な科目だけ行くようにしました。その頃から、私は夜中まで勉強を教えることになりました。世界史・生物・英語が一気に上がってきましたが、なかなかセンター模試では点数に結び付かない状態が、試験直前まで続きました。やっと成果が出たのが、河合マーク模試の最終回でした。本番では、生物が80点台、世界史が90点台、英語が130点台とまずまずの結果でした。前年度の英語が80点台だったことを考えると、伸びたほうだと思います。
センター試験後は、滑り止めの西南学院大学・福岡大学の過去問を、時間を計って5年分ぐらい解きました。一か八かで受ける立命館大学は、1回程度しか解きませんでした。しかし、西南学院大学等よりも立命館大学の方が、英語が簡単に思えたと言っていました。結果、福岡大学法学部・西南学院大学経営学部は、予想通り合格。さらに、サプライズで、立命館大学経営学部に合格しました。もともと地方国立大学よりも立命館大学に行きたがっていたので、国立大学の受験はやめて、立命館大学へ入学すること決めました。
入学と同時に、中学時代の友人が陸上で立命館大学に入っていたので、流れで陸上部へ入部しました。一般入試で陸上部に入るのは、妹が初めてだったようです。そのころの立命館大学は、女子の強化を始めており、同期には全国高校駅伝優勝校のメンバーや、1500メートルの高校記録保持者がおりました。そして、妹が2回生の時には、全国大学女子駅伝で初優勝を飾りました。そのようなメンバーなので、妹が駅伝のメンバーに入ることはできませんでしたが、4年間やり切った妹は、すごいと思います。私だったら尻込みして、入部すらしなかったでしょう。
妹の入学が決まった3月から、司法試験の受験勉強を1年ぶりに始めました。5月の一次試験まで2か月しかなかったので、その勉強しかしませんでした。2年ぶりの司法試験は、父の同伴もなく1人で受験できました。結果は、予備校の出した合格点にピッタリ到達しました。しかし、合格発表には、私の番号はありませんでした。予備校の出した解答が1問間違っていたんですね。
もとより二次試験の論文対策はしていなかったので、そんなに落ち込むことはなかったです。その後は、アパートを引き払い、実家に帰って予備校の自習室に通う日々が始まりました。過去問分析を本格的にやったことがなかったので、「過去問解析講座」を受講しました。この講座を受講して、エピソード2で述べた、衛星授業の弊害をまざまざと感じることになりました。
この講座の先生は、深い理解を求めて授業を行っていたので、初めて知るような学説や理論が出てくるのです。衛星授業がいかに簡単に、しかも浅い情報しか教授していなかったのかがハッキリわかりました。この講座を聴いて、予備校のテキストだけではなく、自分で教科書をいかに悩みながら読むことが大切かを再確認しました。結局、大学の時から、今まで小中高でやってきたような勉強をしたほうが正解だったんですね。
このようなことに気付き、本格的に来年度の合格を狙うことになった、20代最後の年でした。しかし、この頃は、またも人生を狂わせる、30代初めての歳を迎えることになるとは夢にも思っていませんでした。